ブログを書いていると、ふと思うことがあります。
「これ、AIでも書けるよな」と。
実際、いまは検索すれば、整った文章が数秒で出てくる時代です。誤字もない。構成もきれい。読みやすい。正直、人間が書いた文章より「上手」なことも多いです。
それでも私は、「人が書いた」ということの値打ちは、これから上がっていくのではないかと思っています。今日はそのことを、雑記ブロガーの目線で書いてみます。
AIの文章は「うまい」けれど「平均的」
AIが書く文章の特徴は、ひとことで言えば「平均点が高い」ことです。
多くの人が読んで困らない、いちばん無難で分かりやすい形に整えてくれる。これは本当にすごいことです。
ただ、その分、どれも似た顔になりがちです。
- 導入の入り方が似ている
- 「〜が重要です」「〜がポイントです」というまとめ方が似ている
- どのジャンルでも同じような温度感になる
ひとつ読む分には気になりません。でも、同じテイストの記事を何本も見かけるうちに、読む側はだんだん気づきます。「あ、これどこかで読んだ感じだな」と。
「人が書いた」文章に残るもの
では、人が書いた文章には何が残るのか。
私は、次の3つだと思っています。
1. 失敗や遠回りの跡
「やってみたらうまくいかなかった」「結局あとから気づいた」という話は、実際に体を動かした人にしか書けません。整っていなくても、そこに生活の匂いがあります。
2. 偏り
AIは中立にまとめるのが得意です。一方、人は「私はこれが好き」「これはどうも苦手」と偏ります。この偏りこそが、読み手にとっては「この人の考えだ」と感じられる手がかりになります。
3. 責任の所在
誰かが自分の名前で、自分の経験をもとに書いている。この「誰が言っているのか」がはっきりしていることは、情報があふれるほど重みを増します。
情報が増えるほど、「誰が」が大事になる
昔は、情報そのものが貴重でした。調べないと分からなかったからです。
いまは逆です。情報はありすぎるくらいある。そうなると、読む人が知りたいのは「正しい情報」だけではなく、「この情報は誰がどんな立場で話しているのか」になってきます。
たとえば、同じ「おすすめのお店」でも、
- 誰が書いたか分からない整ったランキング
- 近所に住む人が、通い続けた末に「結局ここに落ち着いた」と書いた一軒
どちらを信じたくなるかというと、後者の人は多いはずです。
これは、AIが増えたから起きる変化というより、AIが増えたことで「元からあった価値」がはっきり見えるようになった、ということかもしれません。
「人が書いた」だけで価値が上がるわけではない
ここで一つ、大事なことを正直に書いておきます。
「人が書いたから価値がある」というわけではありません。
中身が薄い文章は、人が書いても薄いままです。むしろ、AIのほうが分かりやすい場面は、これからもっと増えるでしょう。
上がるのは、「人が書いたこと」そのものの価値ではなく、人が書いたからこそ入っているものの価値です。
- その人しか知らない体験
- その人なりの迷いや本音
- 読み手に向けた、少し不器用な気づかい
これが入っていない文章なら、AIで十分です。逆に、これが入っているなら、AIが増えるほど目立ちます。
AIと上手につきあう、という選択肢
だからといって、AIを避ける必要はないと思います。
私自身、構成を整えたり、言い回しに迷ったときに頼ったりすることがあります。道具として使うぶんには、とても心強い存在です。
大切なのは、中心に自分の経験や気持ちを置いておくこと。
AIには整えてもらい、中身は自分で持ち込む。この役割分担ができれば、AI時代でも「この人の記事だな」と思ってもらえる文章は書けるはずです。
まとめ
AIが増えるほど、整った文章は当たり前になっていきます。
その中で、読む人の心に残るのは、少し不格好でも「この人が、自分の体験で、自分の言葉で書いた」と感じられる文章です。
人が書いたことの価値は、自動的に上がるのではありません。
でも、そこに自分だけの体験と本音が入っていれば、AIが増えるほど、その価値ははっきりと浮かび上がってくる。私はそう考えています。
あなたは、AIが書いた文章と人が書いた文章、読んでいて「違い」を感じたことはありますか?
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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