先日、ふと思い立って、AIに記事を一本書いてもらいました。
テーマを伝えて、数秒待つだけです。出てきた文章は、見出しもきれいに整っていて、誤字もなく、読みやすい。正直に言うと、「これ、もう自分が書かなくてもいいんじゃないか」と一瞬思いました。
でも、その記事を何度か読み返しているうちに、小さな違和感が残りました。
間違ってはいないのに、どこか「誰が書いても同じ」に見えるのです。
きれいな文章と、読まれる文章は違う
AIの文章は、いわば「平均点の高い答案」です。多くの人が読んで困らない言い方、よくある例え、無難なまとめ方でできています。
ただ、ブログを読みに来る人は、情報だけを探しているわけではありません。同じ情報なら、検索すればいくらでも出てきます。それでもわざわざ誰かの記事を読むのは、「この人はどう感じたんだろう」を知りたいからではないでしょうか。
私自身、好きなブログを思い出してみると、役に立った記事より「この人の話をもう少し聞きたい」と思った記事のほうが、記憶に残っています。
AIに書けない部分って、どこだろう
考えてみると、いくつか思い当たりました。
実際に体験した、小さな失敗。
商品を買ってみたら思ったより大きかった、申し込みの画面で手が止まった、記事を書いたのに誰にも読まれなかった朝。こういう「うまくいかなかった話」は、体験した人にしか書けません。
そのときの気持ちの揺れ。
「やってみようかな」と「でも面倒だな」の間で行ったり来たりした時間は、出来事そのものより、そこで迷った気持ちのほうが読む人に届きます。
その人だけの言葉の癖。
言い回しや間の取り方、ちょっと脱線する癖。整えすぎると消えてしまうものですが、それが「この人の文章だ」という手触りになります。
「なぜ、これをすすめたいのか」という理由。
アフィリエイトでいえば、ここがいちばん大きいと思っています。商品の特徴はAIがまとめてくれます。けれど、「自分は実際に使って、こう助かった」という一言には、体験した人の責任が乗っています。
使わない、ではなく、任せる場所を決める
誤解してほしくないのは、AIを使うのが悪いという話ではないことです。
調べ物の整理、見出しの案出し、誤字のチェック。ここは本当に頼りになります。私も助けてもらっています。
大事なのは、任せる部分と、自分が書く部分を、自分で決めておくことだと思うのです。骨組みはAIと一緒に作ってもいい。でも、体験や気持ちや理由を書く部分だけは、少し下手でも自分の言葉で書く。そこが入るだけで、同じテーマの記事でも、まるで違う顔になります。
書きにくいところが、価値のあるところ
書いていて「ここ、うまく言えないな」と手が止まる場所があります。そこはたいてい、自分にしか分からない感覚が眠っている場所です。
つい飛ばしたくなるのですが、AIに整えてもらう前に、一度だけ粘って書いてみる。多少ぎこちなくても、その一文が記事の中でいちばん生きていることが多いのです。
AIが当たり前に使える時代になって、文章を「書ける」こと自体の価値は、少しずつ変わっていくのかもしれません。それでも、自分が何を見て、何に迷い、何を大切だと思ったのかは、自分にしか書けません。
AIに書けない部分にこそ、ブログを書く意味が残っている。いまは、そんなふうに思っています。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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